先住民文化

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カナダ先住民 居住地域

先住民と聞くと映画やテレビアニメなどの影響により原始的な生活と思い浮かべてしまいがちだが、カナダ先住民はヨーロッパ人がやってくる遥か昔からこの地に根付き地域により特色を持ちながら高度な文化を形成し生活を営んできた。 大きく分けるとその気候により6つの文化圏を形成していたという。

アークテック

現在のイヌイットの住んでいる地域である。厳しい冬の間、雪と氷のブロックを利用したイグルーと呼ばれる住居に住み、夏の間はクジラの骨と木を使った住居に住んでいた。彼らは夏にアザラシ、セイウチ、魚、ベルーガ、イッカクや北極グマなどを狩った。
また、秋のカリブー(トナカイ)移動の際にはそれらを狩りながら暗黒と極寒の冬を乗り切るための蓄えをした。クジラやアザラシの油は調味料やランプの油としても利用された。


サブアークテック

このエリアでは大きく2つのグループに分けられる。東部及びハドソン湾南部のアルゴンキアンズとユーコン及びマッケンジー川流域のアサパスカンである。どちらもここに小さなグループを作り自給自足の生活をしていた。 彼らのほとんどが獲物を求めての移動生活が中心であり、夏季にはモカシン(鹿皮で作った靴)、冬季にはスノーシュー(洋カンジキ)を履いていたとされる。
また、狩猟には弓矢、こん棒、槍および罠を使用しカリブー、ムース、クマなどの大型動物からビーバー、ウサギ、ハリネズミなどの小動物までを狩の対象としていた。このエリアでは農業はまったく普及しなかった。


イースタンウッドランド

このエリアの部族は通常、チーフ、チーフの子供、高貴、平民などの階級制度が適応され、社会性を保っていたと言われている。彼らの主な生活は鹿の狩猟と農業であった。男性が弓矢、石のナイフ、戦争用のこん棒を作り、女性が豆、とうもろこし、かぼちゃ、タバコなどを栽培した。荷物の輸送の為、水の側にウィグワム(樹皮を張った円形の小屋)を建て居住した。水上移動にはカヌーを利用し、家畜は持たずイヌを飼っていたと言われている。
また、彼らは魚、肉、ベリーを乾燥させ冬の保存食をつくっていたことでも知られている。


グレートプレーン

現在のアルバータ州、サスカチュワン州、マニトバ州を含む、言わずと知れた平原インディアン(先住民)と呼ばれていたグループである。 この牧草地帯はバッファローを育むには最適な土地であった。彼らはバッファローを生活の中心に置き、移動狩猟生活を営んでいた。かつて数百万頭生息したと言われるバッファローであるが、そんな時代でも彼らは少しもバッファローを無駄にすることはなく肉、骨、毛皮など全てを有効に利用していた。現在の我々には少し耳の痛い話である。


プラトー

このエリアはサーモンの遡上というシーズン的に食料が豊富になる時期はあったものの、その他の季節は食料のために移動生活をしなければならなかった。彼らは徒歩による移動生活を行い家財道具などは犬に引かせた。移動中、湖があれば魚を捕り、カモなども彼らの狩猟の目的になった。草原では食用の球根や栄養のある植物の根も食料とする採取生活を行っていた。また、サーモンと食用の球根を乾燥させ冬季の保存食とした。1740年頃になるとプレーンの人々との交易が始まり馬を手に入れた。
馬を使うことで彼らの食料を求めた移動生活のスピードが上がり彼らの生活環境は劇的に変化した。同時にプレーンの人々からバッファローの狩猟を学んだ。彼らはその後も採取生活を続けたがほとんどの人々は馬に乗ってバッファローを追う狩猟生活を行った。


ノースウエストコースト

代表的な部族がハイダ、トリンギット、ツィムシアン、べラクーラ、クワキュートルおよびヌートカである。このエリアでは豊富な天然資源(海洋生物、魚、および木材)に支えられ、他の部族による村の襲撃は少なくなかったが、一般的に平和な生活を営んでいた。先住民の居住地域としては唯一飢えを知らない地域として知られている。生活のゆとりは高度な文化や政治を生み出した。

先住民はどこからやって来た?

ハイダ族のトーテムポールを守るウオッチマン

ウォッチマンはクイーンシャーロット島の遺跡のある場所に
5月から9月の間滞在し、世界中の観光客に彼らの文化を案内している。


 地球上に人類が誕生したのは、今から500万年前のアフリカとされている。その後アフリカからユーラシア大陸、そしてアジア各地に分散し、アジアから更に南へ向かうものと北へ向かうものとに分かれていった。 この北へ向かっていった人々こそカナダの先住民族の祖先「モンゴロイド」とされている。余談だが、近年のDNA研究により、カナダの先住民族と日本人の祖先は同じである可能性が高いと見られている。
そんな話を知った上でカナダの先住民族を見るとその顔つきなどなんとなく親近感も沸くのではないだろうか。

 しかしアジアから北へ向かい北米大陸への移動を想像してみると、なぜ北米大陸へ?の疑問も湧いてくるのだが、幾つかの説がある中で一番有力視されているのは、当時生息していた巨大動物マンモスを中心とした狩猟生活を送っていた人々は数万年という時の流れの中で氷河期が幾度と訪れ、そのマンモスの生息圏が変わり、それを追い求める人々もそれに伴い移動を続けたというもので、ユーラシア大陸東端のべーリング海峡に到着し、現在でも水深50mに満たないその海峡は当時、過去数回の氷河期の間、その海水が凍り、水位がかなり低くなり、その海底は地上に露出し、ユーラシア大陸と北米大陸は陸続き(べーリンジア)となっていた。そこにマンモスが生息し、それを求めて移動し、ついには北米大陸へと足を踏み入れたとされる説である。 また他の移動ルートとして、古来から航海技術に駆けていた人々が存在し、東南アジアから日本、ベーリング海峡、アメリカ大陸を渡り再び東南アジアへ流れる黒潮海流の流れを利用し北米大陸へ移動したという説もある。
この説を裏付けるかのように、1986年6月、三重県賀田湾で消息を絶った尾鷲市賀田町の漁船「一丸」が翌1987年3月に約8,000 Km離れたカナダのブリティッシュ・コロンビア州プリンスルパートの西140kmのクレアム島に漂着しているのが発見された。そう遠くない未来には科学の進歩により、我々の祖先が歩んだ道が解明されていくのであろう。

ハイダ族


北米大陸そしてカナダで暮らしていた先住民族は、住んでいる地域の気候や主食とする食べ物の違いなどによりそれぞれ伝統的な生活習慣や文化などを持ち、それぞれの部族が使用する言語だけでも50以上あると言われ、現在でもその地に住んでいた部族の言葉が地名に使われているところもある。
それほど先住民族の歴史が色濃く残されているカナダだが、その中でもブリティッシュ・コロンビア州沿岸部で生活していた北西海岸先住民が生活環境に最も恵まれ、海ではウニや貝その他海洋生物、また陸上(森)では動物や木の実などが容易に手に入れることが出来た。また、温暖多雨な気候条件による温帯雨林の木々を利用しての住居や移動の為のカヌー作り、樹皮を利用しての衣服作り、そして先住民族を語る上で忘れてはならないトーテムポールを作るといった文化を育むには適した場所でもあった。

今でもその先住民族の生活や文化・歴史などを容易に辿ることが出来るのがブリティッシュ・コロンビア州にあるクイーンシャーロット島である。 その島を基盤に生活するハイダ族(島の人口の約24%、1400名程度が今も島北部グラハム島で暮らしている)の歴史は世代から世代へと語り継ぐ口承の文化で、言い伝えられたことによると、少なくともこの島には7000年以上の歴史があり、1700年代後半までには126を超える村に6,000~7,000人以上が生活していたとのことだ。 1700年代後半には、ヨーロッパ人との毛皮交易をすでに行っており、このことはヨーロッパの歴史書にも残されている。当時は南のアンソニー島や北のクロークベイなど冬の嵐を少しでも凌げるよう入り江を中心に集落があった。 その後しばらく交易は続くが、1860年代にヨーロッパ人により持ち込まれた疫病(主に、天然痘)が蔓延し、ハイダ族の人々は次々に病に倒れ、集落を捨て、比較的病人の少なかった北のグラハム島(マセットやスキッジゲイト)、またカナダ本土へと移住していった。 1911年の記録によると、その人口は僅か589人にまで激減したと記されている。そして捨てられた集落には住居跡(ロングハウス跡)やハイダ族の文化トーテムポールがそのまま残され、それがユネスコ世界文化遺産に指定されている。ハイダ族の世界では霊的なものを重んじる。 家柱や墓標など色々な用途で作り建てられたトーテムポールは、その土地にあるから力を発揮するのであって、その場所から離れて、例えばその芸術性に目を付け持ち去られたり、博物館に保存されたりしたものは、その力を失う。自然から作られたものは自然に帰る、 倒れて苔むしてたとしても、それは新たな生命への糧となるという考えの下、今もウォッチマンと呼ばれるハイダ族の人々がその文化や歴史、自然遺産を我々訪問者に対して語ってくれる。

また、トーテムポールの先端にはよくウオッチマンの人物像が彫られるが、これは何千年にもわたって豊かな自然の中で独特の文化を育んできたハイダの精神を象徴するものであり、そういう人々が現在、朽果てようとする地域を見守っている。
「ハイダ」とは「人々」を意味する。 クィーンシャーロット島は、、人が近づく事のできない海に守られた小さな国の様である。その国で彼ら独自の文化や社会組織が生まれた。彼らの話す言語もかつてはアサバスカ語族やトリンギット語族とともにナ・デネ語族と同系統の言語と考えらていたが、現在ではハイダ語を孤立言語として扱うのが一般的となった。

トーテムポールには大きく分けて三種類の意味を持つ。お墓としての墓標、各家の前に立てる家紋、そして祭や記念として立てられるメモリアルポール。全てのトーテムポールには動物と人間が刻まれ、彼らはそれぞれの家系の始まりは動物が化身したものだと信じており、クマ、オオカミ、クジラ、サーモン、ハクトウワシ、カエルといった生き物は今日でもハイダ族の社会を構成する母体となっている。



▲世界遺産ニンスティンツのトーテムポール


▲先住民特有の住居ロングハウス跡


▲ビル・リードのお墓


ビル・リード(Bill Reid 1920~1998)
カナダで最も著名な先住民彫刻家で芸術性の高いハイダの文化を世の中に知らしめた第一人者であった。彼の彫刻はバンクーバーのUBC人類学博物館、バンクーバー国際空港に見ることが出来る。

イヌイット


▲イヌイットの伝統服


▲北極グマ対策に銃を保持している


▲ポンドインレット、
ナティナクセンター


 カナダには世界のイヌイットのおよそ4分の1が住んでいる。現在はカナダ・ヌナブト準州の大陸北岸沿いや、東西約4,000kmの北極諸島に点在する約40の小集落に住んでいる。
 「エスキモー」という言葉なら多くの人が一度は聞いたことがあるであろう。そもそもエスキモーとはシベリア北東端のチョコトカ半島の沿岸部からアラスカ・カナダの極北地域を経てグリーンランドまでのツンドラ地域に住んでいる人々のことを言う。ヨーロッパ系カナダ人は極北の民を呼ぶ際に「エスキモー」と呼んでいたが、先住民運動が盛んになってきた1970年頃から「民族蔑視につながるような意味を持つ他称を民族名として使用する事は適切ではない」として、政府関係をはじめマスコミ界等では「イヌイット」が使用される事となり「エスキモー」が「イヌイット」として使われるようになった。
 しかし、ロシアやアラスカでは「エスキモー」という言葉が現在でも使用されカナダのように「エスキモー」が民族蔑視につながるとは断言できない部分もあるようだ。

 カナダ・イヌイットの正確な起源はまだ不明な部分が多いが、氷河期のまだ陸続きであった頃に、アジアから北米へやってきたという説が一般的だ。彼らは内陸系の狩猟民族であったが、北極地方を東へ移動している間に沿岸の状況に適応し海洋動物を捕獲し始めた。海上での漁猟とカヤック乗りに適応したことが現在のイヌイット独特の文化を築いていったと考えられる。
 狩猟は現在もイヌイットの生活の基礎となっている。彼らの社会では、家族が基本的な単位となり、いくつかの家族を集め1つのグループを形成し、協力しながら狩猟活動を行う。北極グマ、ハイイログマ(グリズリーベアー)、ジャコウウシ、カリブー、オオカミ、北極クジラ、セイウチといった北の国ならではの、動物たちが彼らイヌイットの獲物となる。
 イヌイットは自分達が見つけた環境に生活様式を合わせていったと考えられ、前記の獲物を狩猟しながら、その季節に合わせて陸や海上でハンターとなった。食料の種類は限られていたが栄養的にバランスがとれ寒い冬を乗り越える為には、こうした動物的な蛋白質が必要不可欠であった。また、獲物の皮を加工し衣服やソリの一部として活用したともいえる。毛皮取引が重要性を高めるにつれてイヌイットの外部との接触も更に増え、毛皮は常にイヌイットの生活には不可欠な素材となり、狩の方法も皮を傷つけない罠猟へと変化した。

 ヌナブトはカナダにおける最北である。その為、気候は大変厳しく、四季を持つこの地域であっても極端なことを言えば殆どが冬といっても過言ではない。当然冬ともなれば気温は零下となりマイナス40度以下になることも少なくない。
 この寒さに加えて風が吹く。毎時15km~20kmは当たり前。強風ともなると毎時50km~60kmになり、当然体感温度は低くなる。夏となれば7月は20度くらい(地域によって若干異なる)に気温が上がり陸地が海水よりも暖かくなる沿岸地域は比較的涼しい季節となる。また、平均気温よりも低い地域は全体が途切れることのない永久凍土で覆われている。かなり浅い土表だけが夏になると融解し冬になるとまた凍るのが原因される。また、この地域独自の現象が日照時間だ。冬のイカルイト地方では日照時間が4時間と短く、逆に夏になるにつれ白夜となる。
 イヌイットの生活基盤は昔と比べて大幅に多様化したといえる。世界的に有名なイヌイットの彫刻や版画には大きな需要があり村にとって安定した収入源となっている。

カナダ ヌナプト準州


ヌナブト準州は1999年4月1日に誕生したカナダで最も新しい準州である。その面積は旧ノースウエスト準州の中央及び東部(バフィン島)の諸島により構成され、北緯63度の州都イカルイトを中心にカナダ全土の5分の1を占める広大な面積である。これはカナダ東部のニューファンドランド"ラブラドール州、プリンス・エドワード・アイランド州、ノバスコシア州、ニューブランズウィック州、ケベック州を合わせた面積よりも広い。
ヌナブトとは、イヌクティトゥト語(イヌイットの言語)で「我々の土地」を意味する。住民のほとんどがイヌイットであり、数千年に渡り彼らの先祖の故郷であったこの地で独自の文化を育んできた。ヌナブト準州誕生で彼らの手にその広大な土地がゆだねられ、先住民による自治が始まったが、自治政府が統治する準州設立の思想は、1970年代にイヌイットの指導者らによって明確に掲げられた。新準州誕生は彼らの長年の夢であり、それがようやく叶ったといえる。ヌナブト準州にはカナダ最大の広さを誇るバフィン島があり、1615年に沿海を探検したイギリス人航海家ウィリアム・バフィンにちなんで名づけられた。
多くの氷河を抱いてそびえ立つ山々は標高2,100mを超え、海岸線には深いフィヨルドが刻まれている。島の約3分の2は北極圏内にあり日照時間の長い夏には、ツンドラ地帯にも無数のかわいらしい花が色鮮やかに咲き競う。

バフィン島周辺は手付かずの大自然が残り、セイウチ、北極グマ、北極クジラ、イッカク、ベルーガといった動物が生息している。
バフィン島北部のポンドインレットでは初夏になるとイッカクや北極グマを見るための氷上キャンプツアーや、盛夏には同島中部のイグルーリックでセイウチや北極クジラなどを見るボートツアーなどが行われている。
ここバフィン島の州都、イカルイトへはカナダの首都オタワから定期便にて約3時間で行く事が出来る。
また、イカルイトからポンドインレットはクライドリバー経由で約3時間半、イグルーリックへはイカルイトより2時間でファーストエアーが運行している。



▲イヌイットガイド


▲凍った海の上を犬ぞりで疾走


▲野生動物観察のベースキャンプ